プロサッカー選手になりたい。
これは私の夢でした。
この夢が実現することはありませんでしたが、私の弟はその夢を叶え、今プロサッカー選手として人々に喜びや感動を与えています!
そこで、ただ夢見ていた私と、本気で目指した弟の違いを幼少期から順を追って皆さんに伝えたいと思います。
ちょっとした物語だと思って読んでください!
プロになるための確実な方法はないからこそ、「サッカー選手になるまで」の実例を1番近くで見てきた人間が客観的視点で伝えることで、プロを目指す人の役に立てると信じています。
お子さんをプロサッカー選手にしたい!と思っている親御さんや、これからプロを目指そうとしている人は是非読んででください!3分で読めます!
※弟がこの記事を書くことを許可してくれたので全て実話です。
・幼少期
私と弟の年の差は5歳です。
私が町の少年サッカーチームに入団したのが10歳の時でした。
その時、弟は5歳ですね。
それまで、空手、陸上を習っていた私は陸上をやめて、空手とサッカーを掛け持ちで習っていました。
弟はというと、毎日私と一緒に私の同級生とサッカーをしていました。
もちろん幼稚園生と小学校4年生では力の差は歴然で、毎日コテンパンにやられていましたね!笑
遊びから帰っても日が暮れるまで一緒にボールを蹴っていました。
私の入っていたサッカーチームは当時、幼稚園児の入部は受け付けていなかったのですが、毎日練習や試合についてくる弟をみて監督が、特例で入部を認めてくれたのです。当時は1年生、たまに2年生に混じって練習していたと思います。
サッカー選手を目指すならサッカーを始めるのは早ければ早いほど良い。そしてサッカーをしている時間は長ければ長いほど良い。
習い事を掛け持つことで集中力が分散することは明確で、子供の頃にどれだけサッカーに集中できるかが重要。
子供の頃は大人とは違いどんなに年上や、サッカーが上手な相手でも負けたら悔しい気持になる。
同級生や同じくらいのレベルの人とサッカーをするだけでなく、自分よりもはるかにレベルの高い人たちとサッカーをすることで、たくさん悔しい経験をするべき。
その悔しい気持ちが努力する原動力となり、結果的に自信に繋がる。
〜メモ〜
小学校低学年までに高い壁に立ち向かうのが当たり前というクセをつけるのが大切。小学校高学年になると常識が身につき、チャレンジする前に「自分じゃ無理だ」等のストッパーをかけてしまう恐れがある。
まさに!!ストッパーをかけて居心地のいい環境におさまっていたのが私です!笑
私は小学生の頃、チームでキャプテンを任されていたり、地区の選抜に選ばれたりと自分の周りよりサッカーが上手だ!という慢心がありました。
その居心地の良さを維持したいがために、高い壁に立ち向かうという姿勢は無意識に薄れていったのです。
これが潜在意識といって、人間の1番怖い性質だと私は思っています。
なんども言いますが、早い時期からチャレンジ精神を植えつけておいてください。
一方弟はというと、小学校1年生の時の作文で「とうきょうべるでいにはいる」と書いていました。目標が明確ですね。
私は小学校の時の作文には「サッカー選手になる」としか書いたことはありませんでした。
夢見ていた私と目指していた弟との差は小学校の時からすでに広がっていました。
弟は小学3年生の時にはすでに6年生の試合にも出場するようになっていましたね。
自分よりもレベルの高い環境でサッカーをするのが当たり前になっていて、そこが弟の居心地のいい環境になっていたのです。
小学校卒業後の進路はというと、
私は自分のレベルに合わせて、町のクラブへ入団。
弟はセレクションでJリーグの下部組織のチームから内定。それを聞きつけた他のJリーグ下部組織のチームから熱烈スカウトを受けて、そのチームに入団。
私と弟が入っていた少年サッカーチームからJリーグのジュニアユースに入団したのは弟が初めてでした。
ちなみに、当時私たちが住んでいた地域ではサッカーの上手な子として弟は有名であったかもしれませんが、県選抜やジュニア日本代表などという輝かしい肩書きはありませんでした。
自らチャンスを掴んだのです。
この快挙で皆から賞賛の嵐だったとは思いますが、彼からしたら当たり前のことだったのだと思います。
あまり自慢とかをしている感じではありませんでした。
後日談で弟の最終セレクションを見に行った人が言っていたことですが、周りの子よりも体格で劣っていたり、技術で劣っていたかもしれないけど、誰よりも本気で、一生懸命で、輝いていて感動したとのこと。
誰が見てもこの子が合格するだろうという雰囲気を作り出していたのでしょう。
数多くの受験者の中から2席という数少ない合格者席を無名の弟は勝ち取りました。
もちろん技術もそうですが、弟のプレーには感動を与えたり、ファンを集めたりと、プロになるために必要なサッカーに対する姿勢が見受けられたので、審査員が合格という判断を下したのだと私は考えています。
目標は出来るだけ明確に。
目標がアバウトだと逃げ道が多くなる。
高い目標を持って、そこに本気で向かっている人間には、どこでサッカーをしてようと同志が集まり、高い目標を持つことが当たり前の環境を自分で作り出す。
自分のレベルの範囲内で物事を決めてしまうと成長幅が狭まる。常に自らの判断で自分のレベルの向こう側へ飛び出すことが重要。
チャンスは自分で掴むもの。
本気の姿勢はプレーに現れ、感動を与える。
〜メモ〜
物事を本気で取り組む人の底力は凄まじい。
その姿勢が協力者を集め、ファンを集める。
・中学生時代
中学時代に、私はサッカー選手を夢見ることやめてしまいました。
理由は簡単で、壁に立ち向かうことをやめてしまったからです。
サッカー選手という夢が遠くにありすぎて夢見ることすらできなくなっていました。
そんな私はクラブチームを辞めて通っていた中学校の部活に入部し、高校受験に備えました。
一方弟は、ジュニアユースに入った当初は身長差や体格差で苦しんでいました。(今やゴリゴリの巨人ですが!笑)
それでもいつの間にか自分よりも上の学年の試合に出場していましたね。
この頃になると弟の目の前に来た高い壁にはドアが付いていたのでしょう!笑
弟のチームメイトは全員サッカー選手を目指していたのは明確です。
その中で試合出場の権利を勝ち取るほどになれば、プロになるための道がうっすらと見える状態だったと思います。
ちなみに、私のクラブチーム時代のチームメイトにも私の知っている限りで3人プロサッカー選手がいます。
つまりプロになるための環境、指導者、仲間は私が入ったチームにもあったのだと思います。
しかし、チャレンジ精神を失っていた私にとって彼らと一緒に過ごす時間はきっと居心地が悪かったのでしょう。
彼らのような志の高いグループに私はいませんでした。
中学生年代は1番の成長期間で今後を左右する時期、さらに指導者や周りの人間の影響が絶大な時期でもある。
チーム選びは慎重に、人それぞれ特徴があり、チームそれぞれに特徴がある。「友達がいるから」とかではなく、自分に合っていて、そのチームにプロを目指す環境があるかどうかをしっかり見極めるべき。
この時期からでも高い壁に立ち向かうクセをつけるのは遅くない。
中学時代に開花して成功している選手は多くいる。
〜メモ〜
町のクラブともなればチーム内にかなり意識の差が生まれる。少なからずチーム内に本気でプロを目指している選手がいるだろう。
そういう選手との時間を大切にすべき。
Jリーグの下部のジュニアユースに所属していると高校の進路はほとんどがユース(高校生カテゴリー)に昇格するか、サッカー推薦で高校にいくかの2択だと思います。
もちろんユース昇格がプロへの近道ですが、昇格できるのは一握り、
弟はというと、最後まで昇格組に入るか検討されていたようですが、願いは叶わず、サッカー推薦で強豪校への進学が決まっていました。
きっと悔しかったとは思いますが、プロへの道が絶たれたわけでもないですし、高校で活躍してプロになる!!という気持ちに切り替わっていたとは思います。
全寮制の高校に進学させることとなり、母親が心配していたのをよく覚えています。
そんな時でした。
私は大学生になりいつも通り家でゴロゴロしていたら、電話をしていた母親が泣いていたんですよ。
「???」って感じでした。
電話を切った母親から
「弟のユース昇格が決まった」
と告げられました。
又聞きなのですが、当時のトップチーム(プロカテゴリー)のGMの方が弟のことをユース昇格に推薦してくれたとかなんとか…真相はわかりません。
とにかく駆け込み昇格を果たした弟は、さらに一歩プロへと近付いていくのです。
ユース昇格が決まった弟の高校受験は大変そうでした!笑
正直学校の勉強は殆どしていなかったです…たぶん笑
それでもちゃんとサッカー活動に理解ある地元の高校に滑り込んでいました!!!
ちなみに私はサッカーから勉強にシフトした甲斐もあって、推薦で私立の高校へ入学しました。
サッカー部に入部しましたが、3年最後の公式戦前に退部しました。
壁に立ち向かうことを辞めた男の末路です。
この経験が後に自分を変えるキッカケになるのですが、話が脱線するのでここまでにします。
たとえ人目にはつかない地道な努力であれ、本当の努力は必ず評価される。
きっとプロになる人には休む暇などない、毎日コツコツ努力を積み重ねることが当たり前になっているから。
自分の思い通りにならなくても、腐るな。腐った瞬間全てが崩れ去っていく。
サッカー脳を鍛えることが優先!!賛否両論あるだろうが、学校の勉強とサッカーのどちらかを選べばいい。
学校の勉強とプロサッカー選手への道を完璧に両立できる人は殆どいない。
〜メモ〜
「運が良い人」とか「持ってる人」は、普通の人より何倍もチャレンジが多い人だと思う。そして失敗も多い。
チャンスの数は皆平等だからこそ、人より多くチャレンジして自分も「持っている人」になろう!!
・高校時代
ここからが、弟の快進撃です。
ファンになり始めていたので、結構試合を見に行っていました!笑
高校1年生で国体の選手に選ばれ、全試合出場で優勝に貢献し、チームでも1年生の後半くらいにはすでに3年生の試合に出ていました。
全日本ユース選手権でも準優勝とチーム自体も好成績でレギュラーとして出場していた弟は少なからず注目される存在になり始めていました。
高校2年生の頃から弟は「プロ意識」という言葉を度々口にするようになっていました。
その言葉通り、日々の生活習慣の改善や、サッカーに対する姿勢、体のケア等、私の目から見てかなりの変化がありました。
高卒Jリーガーになるには、Jリーグの下部組織からプロに昇格するか、強豪校で活躍しスカウトされるというのが王道です。
下部組織においては、チームの目標に向けて皆で一丸となって戦っている一方で、チームメイト全員が下部組織からの昇格を何としてでも掴み取ろうと必死だったと思います。
同学年でプロに昇格できるのは多くて2名程度、弟の1学年上の代はプロ昇格者ゼロという状況でした。
ユースに昇格した精鋭たちですら、高卒Jリーガーになれるのはほんの一握りです。
そこを目指すとなると、相当な覚悟と強い意志が必要なことがわかると思います。
3年生の後半になると、選手は自分の進路を決めることとなります。
チームから声がかかり昇格する選手、自らトライアウトに行きプロになる選手、大学へ進学する選手。
この頃になると、自分がプロへ昇格できるかできないかはだいたい見当がつく頃です。
ほとんどの選手が大学の練習に参加する中、
弟は、「大学にはいかない」と言い張っていました。
毎日家では家族会議でしたね。
プロに昇格できなければトライアウトを受けてどんな形であろうと絶対にプロサッカー選手になる、と心を決めた弟をみて両親も
「大学に行ったところであなたは卒業できない」と冗談(半分本気!笑)を言って全力サポート体制でした。
卒業が近くなり昇格候補には上がっているものの、なかなか声のかからない状態が続いていました。
そんな時、最大の転機が訪れます。
世代別日本代表への招集。
これを聞いた時鳥肌がたちました。
いっつも自転車で後ろを追っかけてきたあの弟が、日本の代表になったのです。
胸に手を当てて「君が代」を歌うんですよ!!笑
これがきっかけで、弟はチーム内でたった1人プロ昇格の切符を掴み取りました。
目指した結果、夢が叶わない人もいる。
だけど夢がかなった人の共通点は、
「叶うまで諦めなかったこと」
後日談で、世代別日本代表入り、プロ昇格には色々な関係者の人たちが後押ししてくれたと聞きました。
弟は多くのクラブからオファーがくるようなスーパースターではなかったかもしれませんが、少なくともチーム内の誰よりもプロになることを「諦めなかった選手」であったことは間違いありません。
その姿勢が、人の心を動かし、協力者を集め、目指していた舞台へ弟を押し上げたのです。
・プロになった友達から聞いた話
私の友達にも高卒でJリーガーになった人がいます。
彼は周りの高卒でプロになる人たちを集めて、高校最後の思い出にアマチュア7人制サッカーの大会に出場しました。
↑これはグレーゾーンのような感じですが、もう時効ということで!笑
大会前に彼からこの話を聞いて、
「そんなの無双状態だろーが!!笑」
「優勝商品はちゃんと返還しろよ!!」
こんな話をしながら、羨ましく思っていたのが懐かしいです。
そんな大会があったこともすっかり忘れて久々に友達に会った時に、ふと大会のことを思い出し結果を聞いたのですが、、、
驚きました。
「予選敗退」
プロ入団前で体を動かす程度だったとはいえプロになる人たちがアマチュアに負けるのか!!
びっくりしましたね。
彼は、「おじさんたちサッカー上手すぎ」と言っていました!笑
ここからは私の意見ですが、
サッカーがプロ並みに上手な人は沢山いると思います。
プロとの違いは何かというと、「本気で目指したかどうか」だと思っています。
この「本気」の定義がすごく難しいのですが、
私が勝手に「本気」を定義すると。
「できるまで諦めないこと」です。
これは私が弟から再度学んだことでもあります。
余談ですが、フィジカルの部分でもプロとアマチュアには大きな差があると聞きます。
フィジカルと言うと身長の大きさや身体の大きさをイメージすると思いますが、
これに関しては持って生まれたものと言う意味ではなく、トレーニングの量を指しているのだと思っています。
ほんの一例ですが、長友佑都選手は身長に関して正直言ってサッカー選手の中では小さいと思います。
しかし、鍛錬に鍛錬を積み長友選手は世界の大舞台でフィジカルの強さ(肉体的強さや走力)を武器に今でも闘っているわけです。
プロとアマチュアのフィジカルの差は「継続の力」の差であり、正しくトレーニングを継続し続けることで、プロの世界で闘えるフィジカルを手に入れることができるのだと思います。
・「本気」で目指すことを知った
ここは「サッカー選手になるには」と関係なくなってしまうのですが、私が「本気」を「できるまで諦めないこと」と定義づけるキッカケとなった話をします。
私はと言うと、前述した通り高校受験のタイミング以外は高校3年の途中までサッカー漬けの毎日でした。
プロを夢見ることを辞めたにせよ結構真面目にサッカーに取り組んでいたのは確かです。
でも私は高校3年の途中で全てを諦め、腐り、サッカーを投げ出しました。
もうサッカーをすることは無いと思うほどにサッカーが嫌いになりました。
コーチに練習中「お前は帰れ」と言われ、そのまま自宅に帰宅し次の日に退部するくらい腐りきっていました。
自分の弱さがこれでもかっ!!ってくらいに爆発した時期です。
人生諦めの連続ですよ!笑
勉強もしてない、サッカーも投げ出した私には何も残っていませんでした。
幸い大学附属校の生徒だった私は大学受験の心配はあまりなく、推薦で希望の学部にも行ける状態でありました。
でも、
本当にこのままでいいのか??
人生こんなんでいいのか??
おい!諦め続けていいのか?
この時は丁度弟がFC東京のジュニアユースに入団し活躍し始めた時期です。
弟はすごい。
兄はザコい。
こんなレッテルを貼られるのは嫌だ。
僕は附属の大学に行くのではなく、一般受験で他の大学に行くことを決意しました。
私の学年で一般受験をするのは全体の4%しかいませんでした。
受験までの3ヶ月間必死に附属大学よりも上のレベルの大学を目指しました。
毎日死ぬほど勉強しました。
結果は全敗でした。
本当にお先真っ暗になりました。
附属大学に行っていればよかったと何度も後悔しました。
でも、諦めるのはもう嫌だったんです。
本当に。
親に頭を下げて、浪人のために塾に通わせてもらいました。
大金払ってもらったわけですよ。
ここで私は初めて自分のレベルから飛び出し、「本気」で○○大学を目指すと明確に決めて勉強をして、壁に立ち向かいました。
理系だった私は「本気」で目指すために文系に転向しました。
本当に頭が悪かったので暗記量と言う努力でしか他の受験生に勝てないと思ったからです。
本気で勝ちに行ったからこその選択でした。
もうストレスで顔中ニキビだらけ、体重激増、この頃のことは今でも夢に出てきます。
たかが浪人、たかが大学受験だろ?と思うかもしれませんが、私の中では人生をかけていました。
いい大学にいけないといい会社に就職できない!とかではなく、ここで今までの自分に打ち勝てなかったら人生終わると言う感じです。
結果は目指した大学のワンランク上の大学へ合格しました。
毎日コツコツ積み重ねた世界史の知識、英語の知識は現在カンボジアに住んでみてとても役立っています!
特に世界史に関しては勉強するのが楽しくなっていました。
この時、嬉しいと言うよりも、安心感でいっぱいでした。
やっともう一度人生のスタートラインに立てたような気がしました。
「本気」だったから「諦められなかった」のです。
本当に合格したかったんです。
浪人時代には本気で志望校を目指す仲間がいましたし、本気で目指す環境がありました。
本気になったら諦められないんです。
だから私は「本気」を「できるまで諦めないこと」と定義づけました。
これは後に弟の姿を見ていて再度間違いではなかったと確認することができました。
・最後に
今回は精神論的な要素が多かったですが、もちろんプロのサッカー選手になる条件として最大の割合を締めるのが技術的な部分であることは皆さん理解していることだと思います。
ただ、どんなにサッカーが上手でもプロへの道は険しいと言うことを弟を見ていて感じました。
書いてはいませんが、多くの失敗、悔しさ、大人の事情を乗り越えてきたのを間近で見ています。
その中でチャンスをものにした人には「心技体」が全て備わっていて、さらにトッププロとして活躍する人には「心技体+知」が備わっているのだと思います。
今では、J3もスタートし、Jリーグを経験ずに海外でプロデビューするという選択肢もあります。
可能性は広がりました。
プロ誕生を1番近くで見ていた男の客観的視点から「サッカー選手になるには」を伝えることが本気でプロを目指す人の役に立てることを私は信じています。
↓↓ダゾーンで弟を見つけてみて下さい!笑