
プレイヴェン州では、日本のたくさんの団体の支援のあとを見ることができました。
今回、プレイヴェン州を紹介してくれたのは、日本語が話せるカンボジア人。
そのカンボジア人が話してくれたことを記事にしてみました。
「あなたを連れて行きたい場所がある。」
と連れて行ってくれたのは、日本のNGOが建てた教員養成校の校舎。
日本の国旗と建てられた日付がしっかりと刻印されていました。
彼は、そこで働いていたと。



そこでは、建物を建てただけでなく、理科や数学の教具も寄付し、そして教員養成のために日本から指導員も派遣していたとか。
その通訳をしていたのが彼。

この校舎を見ると、日本からきた怖い先生の顔を思い出します。みんな、覚えています!彼は、遅刻をすると、すごく怒った。だからカンボジア人は彼を恐れていました。きっと昔の日本の侍のような人だったです。
と、うれしそうに笑いながら話してくれました。
そして、誰かいればカギを借りて中を見せられるのに!!と悔しがっていて…。
その後も、住んでいた場所やよくみんなで食事していた場所を紹介してくれました。
野鳥を見に行く道中、そこにも日本の団体が建てた校舎がありました。
彼は、わざわざそこに入り、私に校舎を見せてくれました。

ここではないけど、私が幼いころに通っていた学校も、日本の団体が建ててくれた学校でした。そこには日本語が書いてあって、その当時、私はそれを読めませんでした。
それから日本語学校で日本語を勉強して帰った時、私はそれを読むことができたんですよ。『夢学校』って書いてあったんです。
と、これまた満面の笑みで話してくれました。



そんな彼は今、また新しい目標に向けて、日々勉強をがんばっています。
プレイヴェンの道中には日本の無償資金協力で建てられた「つばさ橋」もあります。
バス内からしか写真とれず。。。残念。
ゆるやかな弧を描く美しい橋。

カンボジアを旅していて、「日本人」と伝えて嫌な思いをしたことはほとんどありません。
多くのカンボジアの人が「日本人」をリスペクトしてくれ、今あったばかりの私に「日本は多くの素晴らしい支援をカンボジアにしてくれた。してくれている。」と感謝さえしてくれます。
それは、これまでに現地の人を大切にして活動してきたたくさんの日本人のおかげだと心から思います。
プレイヴェンをカンボジア人の友人と旅したことで、これまでの日本人の思いや努力を感じました。
そして、何より、来カンした日本人を受け入れてくれ、何年も忘れずに語ってくれる…そんなカンボジアの人々の温かさを強く感じました。。
当時を想像すると胸が熱くなり…そして、その思いを忘れず語ってくれるカンボジア人の情の厚さに心が浄化されました。
プレイヴェン州の旅を通して、改めて今の現状に感謝し、これからももっともっとカンボジアを知っていきたいと思いました。
そして、自分にできることを精いっぱいやっていこうと思えた旅でした。
それでは~。
ライターさんの紹介!!

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座右の銘:生きてるだけで丸儲け、死ぬこと以外かすり傷。
旅のモットー:他力本願。ハプニングはネタ。
クメール語勉強中、英語永遠に勉強中、カンボジア生活2年になりました。思いつきで始めたカンボジア25州制覇の道のりをゆる〜く発信。よろしくお願いします!