ジマは、‟中田 厚仁”さんは、知ってる?
中田…。分からないな。それは、誰?
日本人だよね?
カンボジアのために頑張てってくれた日本人だよ!!
その人に関係のある学校が、コンポントムにあるんだけど、一緒に行ってみない?
えっ!?そうなの?
行きたい!!
と、言うことで、
今回の旅のコンポントムの旅の一番の目的は、「中田厚仁学校 『アツスクール』への訪問でした。
中田厚仁(なかた あつひと)学校 「アツ学校」とは!?
厚仁さんは、幼いころから国際協力関係の仕事に就いていた父の影響を受け、平和な世界づくりに関心がありました。
1992年 カンボジアでは、平和な国を作るため、国連が参入して国づくりの挑戦が始りました。
その時、国連が、憲法を作るための国会議員を選ぶ選挙を指導・監督する国連ボランティアを募集。
厚仁さんは、それに応募、採用されて、その年の7月にカンボジアへ渡りました。
厚仁さんは、政府軍とクメール・ルージュとの関係が激しい危険な町、コンポントム州を希望し活動しました。
「世の中に、誰かがやらなければならないことがあるとすれば、僕はその誰かになりたい!」と。
しかし…
1993年4月8日。
活動中に銃弾を受け、通訳のカンボジア人青年とともに亡くなったのです。
当時25歳でした。
その後、厚仁さんが亡くなった場所に人が集まり、村ができました。
この村は「アツ村」と名付けられ、1998年8月24日には、学校が設立されました。
この学校は「アツ学校」と呼ばれ、今でも現地の子どもだちの学びの場所となっています。
※詳細については、絵本「中田厚仁物語~夢は世界を平和にすること~」に書かれています。
コンポントムの中心地から、トゥクトゥクで約40分。
ひたすら一本道を走っていると、見えてきました「アツスクール」。
本当に、カンボジアの田舎の道。
日本の「に」の字も感じないその場所に、「アツ小学校・中学校」と書かれた入り口の門。
「確かに厚人さん、日本人がいたんだ。」と感じ、熱いものがこみ上げました。
学校に着くと、学校では土曜授業を行っていました。
現地の先生に対応していただき、すぐに厚仁さんの慰霊碑のある場所へ案内してもらいました。
きれいに掃除され、花が咲いており、周りの池には魚が泳いでいました。
私が手を合わせていると、隣でカンボジアの友達も手を合わせてくれていました。
その後、校長室の帳簿に記帳。
現地の先生のご厚意で、施設見学、授業見学、子どもたちとのアクティビティをさせていただきました。
現地の校長先生、先生方は穏やかで優しく、一緒にアクティビティをした6年生は、ちょっぴりシャイで素直。
急に来た訪問者を温かく迎え入れてくれました。
カンボジアに住んでいると、
「この橋はね、日本が作ってくれた。ありがとう。」
「日本人、いいね~!」
「日本、行きたい!」
と、ポジティブな言葉をかけてもらえることがたくさんあります。
これも、これまでの厚仁さんのように、現地で現地の方とともに平和な世界の実現に向けて活動した日本人のおかげです。
もちろん、プラスの歴史だけではありませんが、それらの歴史も学んだうえで、自分はカンボジアでどう過ごしたいか…。
日本人としてどうありたいか…。
そんなことを考えた「アツ学校訪問」でした。
最後に、「アツ学校」の存在を教えてくれたカンボジア人の友人。
「アツ学校」とつなげてくださったインターバンドのスタッフの方々。
快く見学させてくださった現地の先生方に、感謝いたします。
それでは~!
ライターさんの紹介!!
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座右の銘:生きてるだけで丸儲け、死ぬこと以外かすり傷。
旅のモットー:他力本願。ハプニングはネタ。
クメール語勉強中、英語永遠に勉強中、カンボジア生活2年になりました。思いつきで始めたカンボジア25州制覇の道のりをゆる〜く発信。よろしくお願いします!
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